2011年3月20日日曜日

光と影

東北関東地方に大きな地震があってから10日になる。
たくさんの人が亡くなって非常に悲しい出来事だった。
阪神大震災を経験した私は、一生のうちにあれより大きな震災に日本が見舞われるとは思ってもいなかった。
地震に遭うなんて避けようがない。
運の世界だ。
そう考えると、世の中は本質的に平等ではないと思える。
自然を人間がコントロール出来るはずがないのに、あたかも自然も含めて地球は人間の物のように錯覚してしまった人間の非力さを思い知らされる出来事のように思えた。


地震と津波は自然現象なので、避ける事が出来なかったかもしれないが、原発事故は避けられたような気がする。

都市部では、夜間でも灯りが煌煌と灯り、神を冒涜するように天高くビルはそびえ立ち、室内では季節をかき消すようにエアコンが使われている。
一見すると文明や繁栄を見せつけるかのような美しさがあるかもしれないが、その裏側にはそれを支えるための「美」に対する「醜」があったような気がする。
それが、今回の原発だ。
都市部の美しさの裏には、地方へ押し付けたツケがあったと思う。

被爆国である我が国は、被爆国であるにもかかわらず核に手を染めてしまい、いつの間にか危険な物を安全な物と勘違いし、今日の事故に至ったのである。
悪魔に心を売ってしまったようで、明らかに人災だと言える。
そして、都市部の人達は今回の放射能地域の産物を忌避し、今迄の生活を崩そうとしない。

みんなもっと世界の光と影の「影」の部分を見て欲しい。
そうすれば、自ずと今の世の中が変わって行くと思う。
陽が昇れば起きて行動し、陽が沈めば寝る。
晴耕雨読の当たり前の生活が送れれば、物質的に満たされなくても精神的に見たされた豊かな世界に慣れると信じている。

金銭的には苦しくなるかもしれないが、会社を辞めて人助けが出来るような行政書士を生業としたい。

2011年3月6日日曜日

こどもの能力

今日は一日大原簿記に社労士講座を受けに行った。
小学校から人生のほとんどの時間を週6日稼働でやって来ている。
健康保険はなかなか難しくて悩むところである。
これが厚生年金になった時にはどうなる事だろうと今から少しびびっていたりもする。

夜、5歳になったこどもと神経衰弱をやった。
 ぼろ負けだった。
2日前の夜にはかるたをやった。
ぼろ負けだった。

ちょっと前には字も読めなかったのに、確実に読めるようになって、記憶力も僕よりも数倍はよく次々とカードを取って行く。
こどもの成長と能力の高さに驚かされたのと、自分の無能さを改めて突きつけられた気がした。
いつの間にやらひらがのも読めて、数字も読めている。

大人は、ただ、こどもよりちょっと長く生きているだけで、能力にすぐれているわけではなく、経験からくる判断力がこどもより少し多い程度の生き物なんだろうと思う。
大人になってしまい、能力に劣るのを見せつけられたけど仕方なく劣る能力で勝負していくしかない。

今は目先の大原で頑張って夏の試験を乗り越えるしかない。
その前に、ほぼやる気の火が消えてしまった仕事をどうするか決めなければならないと思っている今日この頃である。