2011年11月23日水曜日

大原社会保険労務士合格祝賀会

今日は、19時から梅田のリッツカールトンで合格祝賀会があった。
午前中は、子供と甥っ子と3人でプールに行き、午後は庭で畑とプランターをいじって、袋栽培の芋掘りをしてみてあまりなっていなくて残念な思いをしたりして、夕方祝賀会に出かけていった。
リッツカールトンははじめて行ったが、高級感たっぷりなホテルでした。
将来的にはこういうところに普通に泊まれるくらいの経済力を付けたいものだと思いました。

祝賀会は、大原の京都、大阪、梅田、難波、神戸、通信が合同だったが、総勢100数名の合格者がいた。
大原での合格者は、概ね受講生の2割なので、ざっと全体で500人以上の受講生の中の100人という事になる。
僕が受講していた、難波校上級クラスでの合格率は3割程だったらしい。先生は「合格率100%を目指します 。」と言い続けてきて、模試の成績も全国トップクラスだったのに合格率がたった3割程だったので意外だった。(上級クラスは約60人の最多人数クラスでした。)
ちなみに、難波校全体では今年40人強が合格したようでした。 (最大派閥)
祝賀会では、僕の周りに座っていた人は大概受かっていて、顔は覚えているけど話した事がない人と今日は話す事が出来ました。
やれやれ、みんな受かってよかったね〜。
上級クラスは、失敗組のクラスなので、僕のように3回目受験の人なんかがいるのですが、泥沼から脱出出来てよかったよかった。
今後は、来年1月から実務講習クラスがあるので、受けようかどうかを検討しようかと思っているのですが、皆どうしようかと言った感じです。
とはいえ、実務講習クラスに出席したらしたで、友達も出来るからいいかもと思ったりしている今日この頃です。
それにしても、お金がいっぱい掛かります。
いつになったら回収出来るのやら??

2011年11月14日月曜日

社労士試験総括

社労士試験結果が発表されて僕はめでたく受かった。
ということで、今年の社会保険労務士試験を振り返って総括してみようと思う。

まず、選択式
あまりにも救済が多くてびっくりだった。
個人的には、受験しながら労災は救済されるだろうと思った。
ただ、労災の問題は、大原の選択式答練でずばりそのものの問題が出てきていたことと、白書まとめでズバリそのものが書かれていたので、大原生に限ってはここは救済されるところではなく実力で3点取らなければならない箇所だと思った。
今年の労災の問題に関してはズバリこの内容が読売新聞の連載として夏前に組まれていたので、大原生でなくても読売新聞をとっている人は是が非でも落としては行けない問題だと思った。
私としては、社会保険一般常識が救済されたために合格出来たのだが、これに関しても、実力で3点取れなければならないと思っていた。かりに、よくわからない問題だと思ったとしても、国語の問題として3点確保はしなければ行けないと思った。
厚生年金についての救済は、よくわからない。昨年国民年金の問題でこけた私としては、この問題をきっちり復習していれば今年の厚生年金3点はキープ出来たはずだと思う。私自身昨年の国民年金の問題を精査して、完璧に理解していたわけではなかったが、何となく3点確保が出来た。本来なら、ここはまぐれでなく実力で3点確保しなければ行けない問題だと思う。ということで、個人的には厚生年金の救済は意味が分からなかった。
国民年金と労基安衛の救済は全く意味不明だと思った。
個人的にはこんなの基礎問題だろう。と思っていたので、今年の救済は労災は来るだろうと思ったが、その他についてはかなり可能性が低いだろうと思っていた。
逆に、多くの受験生は労働一般常識で引っかかっていたようだ。私自身も、労働一般常識は労災の次に救済の可能性が高そうな気がしたが、大原の先生が言うのと私の見解も同じで、4択5問の問題形式になっていなかった場合は確実に救済対象となったと思われるが、4択5問になっていたせいで救済対象にならなかったのでしょう。労働一般常識に関しては私も確信を持って3点を取れたわけではなかった。国語の問題として取り組んでなんとか3点キープした感じだ。ここは運による要素が大きい。
全体を見渡して個人的には、労働一般常識と労災を救済することが妥当だったのではないかと思った。

択一式について
択一式については受験中に昨年より難易度が下がったと思っていた。
受験中に今年の問題の合格ラインも48点くらいかなと思っていた。
没問も無かったので、昨年と同じ48点くらいが合格ラインで、受験中の手応えとして50点超えをしているだろうと思っていた。
だが、自己採点の結果トータル46点の合格点ピッタリだった。
各科目ではまず労基安衛が4点という大ブレーキ。
こんなブレーキになるとは思っていなかったので、自己採点したとたんに「終った」と思った。労基安衛については、8点から10点取る予定だったので、足切りギリギリの4点というのは過去の本番と模試を全て考慮しても最悪の結果だった。
ここはどんだけ狂っていたとしても7点はキープしたかった。
そして、もう一つ社一労一も4点の大ブレーキだった。
これに関しては、受験生のほとんどが苦手としているところなので、6点で上出来。5点で妥当。と割り切っていたが、4点となると、他でリカバリーするのが苦しくなるので、辛い結果だった。
合格出来た要因としては、苦手科目にしていた厚生年金が9点と、7点くらいが妥当と思っていた労災が9点だったことで、ブレーキ2問をリカバリー出来たと思う。
国年の6点に関しては、最低でもあと1点の7点が欲しかった。
きっちりと取るべき科目でとって行かないと、私のように本番の運でリカバリーして受かるというのはレアなケースと思われる。
社労士試験の合格の極意は苦手科目を作らないということに限るので、どの科目でも万遍なく7点がとれて、どこか一つが8点であればトータル50点で文句無しの合格が得られると思う。

全体的に見て、今年はあれだけ救済があったにもかかわらず、択一の基準点が46点というのは奇跡に近かったと思います。
今年合格出来非常にラッキーでした。

最後に思うことは、社会保険労務士の試験はある程度箔のある国家試験の中でも、実力で合格出来る試験だと思います。今回の試験についても、昨年の試験についても、大原のテキストと問題、答練、模試を完璧にマスターしていれば確実に合格出来る試験でした。
逆に言えば、合格出来なかった人に関しては、やるべきことを完璧にやっていなかった努力不足ではないかと思います。
ただ、私のように合格点ちょうどで合格している人と、1点2点足りなかった人は、実力的にはほぼ同じだと思うので、そこは運だったと思いますが、完璧にこなしていさえすれば、50点越えをが可能な試験だったので、いずれにせよ合格しなければ行けない試験だったと思います。

受かってよかった。
会社は育児休業をとって来年秋に退職しようと思っている。
それまでに、社労士の実務研修を受けて資格要件を満たすことと、それまでにFPの資格にも取りかかりたいと思っている。

2011年11月12日土曜日

第43回社会保険労務士試験

社会保険労務士の試験が終わり、すでに2ヶ月が経過した今日合格発表だった。
結果は「合格」だった。

今日は普通に会社に行って、社会保険労務士試験の結果発表は今日だった、、、ような気がする。程度だった。
選択式で社会保険に関する一般常識が2点という事が確定していたのと択一が46点で、完全にボーダーだったので不合格を覚悟していた。
会社から帰ってきて、夕食の前にメールチェックをしたら大原からメールが来ていた。
いつもの問題サービスと臨時メールだった。
合格発表だった事を思い出してメールを見てみた。
試験センターのアドレスが書かれていた。
すぐにクリック。
何よりも気になっていたのが、「救済があるか否か」だ。
選択の救済はたくさんあったが、自分自身がどっちの一般常識で救済を待っていたかがわからず、問題用紙を引っ張り出して、一から答え合わせをしてしまった。そして、2点のところが救済されている事を何度も何度も確認して、更に一から択一も答え合わせをしてしまった。
択一の合格ラインが46点と書かれており、自己採点も46点だったのだが、一つのミスでもあれば不合格なので目を皿のようにして見直してみた。どうやら、自己採点が間違えていて47点のようだ。
やった〜!うかったかも!
と思い配偶者に報告に行った。
今週日曜日に子供が産まれたので配偶者はそれに付きっきりだが、僕は喜びを隠しきれなかった。
でも、確信はないんだよね。
と思いながらすぐにパソコンに戻り、「そっか、受験番号で合格番号を調べればいいんだ!」と思い調べてみた。
122301142
あった。
信じられなかった。
あった。
久しぶりに合格の味を噛み締められた気がする。

僕は自分自身とても頭が悪いと思っている。
頭が悪いというのは、試験や勉強に向いていなくて、要領が悪く頭が悪いという事だ。
僕が大学に入学するのに2浪もして東洋大学に入学したという結果からしても、決して自分自身が出来のいい部類の人間だと思えないのである。
ただ、僕は自分の頭が悪い事と要領が悪い事を自覚しているだけ自覚のない頭の悪い人よりもマシだと思っている。
そして、僕は自分の頭の悪さと才能のなさを補うために人10倍程努力しなければ人並みになれないと自覚して今までやってきたつもりだ。
人は、僕の事を要領がいいとか賢いとか思ったりする事もあるみたいだが、実は全くそんな事はないのである。全ては僕の一番苦手とする努力と付き合ってきた賜物である。
失敗したからって投げ出さず、長い時間それと付き合った結果が出ただけである。
不合格や失敗は、ダメな方のカテゴリーではなく、成功のの方のカテゴリーだと確信している。
本当の失敗は何もしない事とあきらめる事である。

僕が本当に嬉しかった事は、大学にうかった瞬間と、行政書士試験にうかった瞬間。そして社会保険労務士試験にうかった瞬間です。
そして、日々家族と幸せな時間が過ごせている時が幸せな時間です。

会社は子供が産まれたので、社会保険労務士の知識を使って育児休業を取ろう。
今度の日曜からはファイナンシャルプランナーの講座に通おう。
早く動いていっぱい知識を詰め込んでメシの種を作り出してこなければと思う今日この頃です。

今日試験にうかった事で、少しは僕が馬鹿ではないことが立証出来れば嬉しいと思っています。

2011年9月17日土曜日

久々の自転車

試験が終わってから久々に自転車に乗った。
試験が終わってから、大学のOB会などやる事が盛りだくさんで自転車に乗っていなかった。

今日は、家を出たら明らかにペダルが重かった。というか、体が重かった。
あ〜、しんど。と思いながら箕面の山に登った。
箕面の山を登り切って、高山公民館方面に走って行って、野菜売り場のところまで走って、そこで一服しようと思っていたが、あまりにもしんどくて箕面川ダムのところで休憩してしまった。
やっぱり、朝に菓子パン一個とゼリーだけじゃハンガーノックだったのかもしれない。




















野菜売り場では、「小芋と枝豆を買ってきて。」と言われたので、「小芋と枝豆」がないかきいてみたがなかった。「小芋はないけど親芋があるからこっち買っとき!」といわれて、未だ食べた事がない親芋を買った。それと、何となく南瓜も買った。二つで250円。安っ!!
野菜売り場のところの湧き水を少し飲んで顔を洗って再出発。「ありがとね〜。」とペダルを2回ほど漕いで、何か忘れている事に気がついた。ヘルメットとグローブを忘れてしもた。
「忘れ物をしてしまった〜。」と言って、すぐヘルメットとグローブをはめて再出発。
親芋と南瓜の入ったリュックが重い。たぶん1kg以上はあると思われる。
正直ケツが痛かった。

なんとなく、やっぱりスピードがでないな〜と思いながら池田方面に走ってきたら、「社会人落語ナンバーワン決定戦」というのぼりが立っていた。
なんだろー??と思いながら通りかかったら、縁日が催されていた。
R176号線から、商店街に入ってゆっくり走ってみた。
池田は日清食品の発祥の地。
どん兵衛やカップヌードルの試食会が行われていたりした。
池田の小さな映画館はいつの間にか、よくわからない時代劇劇場に変わっていた。
ゆっくり自転車で走ると色々な物が見える気がした。
車に乗っていたら気づかない物も自転車や歩きだといろいろ気づかされたりする。実はこれってすごく贅沢なものなきがする。

家に帰って、昼ご飯を食べて母校の刀根山小学校に敬老の会を見に行った。
我が子が幼稚園の出し物で敬老の会で歌と踊りを披露するからである。
一時過ぎに始まったのを見て、すぐに帰った。
帰って、庭に大根の種を蒔こうと野良仕事を始めたら、土砂降りの雨になった。それでも、がんばって耕して明日大根の種を蒔く事にした。
田辺大根と普通の青首大根。
今からおでんにするのが楽しみである。

コース>
蛍池→箕面の猿山経由→箕面川ダム→能勢方面→423号線経由→池田→蛍池

距離>36.8km
Max>52.8km
Ave>20.4km
時間>9時45分-11時55分
実働>1時間47分
休憩時間>23分

2011年8月29日月曜日

社会保険労務士試験が終わった

選択 29点
択一 46点

選択の社会保険一般常識が2点。
択一は労基、一般常識が共に4点で足を引っ張っている状態です。

労基 選5 択4
労災 選3 択9
雇用 選4 択7
労一 選3 択4
社一 選2
健保 選5 択7
厚年 選3 択9
国年 選4 択6
計29  46

完全にボーダー上です。
選択式社会保険一般常識が2点なので救済待ち+択一の合格ラインがどこに引かれるか結果待ちです。
選択の社会保険一般常識が3点で、択一があと3点(2点で十分か?)あればほぼ合格だったのに、、、。

11/11にどちらの結果が来るか待つしかない感じです。

2011年8月5日金曜日

集中力がない

社労士試験が4週間後に迫ってきた。
でも、どことなく集中力がない。
体の調子も今ひとつよくない。
肉体と精神のコントロールが難しい。
ここは一回明日自転車でものって汗をかいて気分転換をした方がいいのかもしれない。

精神は浪人の時にこれでもかと鍛えられて、少々の事で折れない精神力になれたと思っている。
肉体は大学時代山で培ったので、少々の事では壊れないと思っている。

行政書士に受かった時は、死んでもいいというくらい勉強した気がするが、今はそんな気持ちの前に集中力が無くて時間を費やしても得るものが少ないような状態だ。

先週の模試は択一50点。選択28点(足切りに掛かっている)だった。
はっきり言ってボーダーだ。
数問引っ掛かったらヤバい感じだ。
運も味方につけて受かりたい。
でも、運も実力のうちだ。
つまり実力をつけなければ運も巡ってこないんだ。

やすいプライドを捨てて、
日々是決戦!!!

2011年7月6日水曜日

有給休暇


今日は有給休暇を取った。
当初の予定だと、会社を辞めて既に有給休暇消化中だったのが、紆余曲折があって残留中になっている。
やる気のモチベーションが下がったのと、大人の事情があって今年の仕事はかなり時間的にセレブになってしまった。この調子で行けば居場所が無い感じでちょっと辛いのだが、あまり気にせずやって行こうと思っている。

気が向いたら有給休暇をとろう!
と思っていて、昨日気が向いたので今日有給休暇を取った。

今日は、社労士の試験勉強がしたかった。
と当初思っていて、朝から3時間ほど労働基準法の勉強ができた。
結構はかどって満足した。
昼から部屋の掃除をちょっとして、久しぶりにオルベアに乗った。
今ツールドフランスもやっているし、先週のふしぎ発見がジロデイタリアだたので、ちょっと自転車に乗りたいなと思っていた。

久々の自転車は結構疲れたが、いい汗がかけた。
気晴らしは心身に良さそうだ。
勉強もはかどりそうな気がした。

一人で自転車で走っていたら、なんか色々と考えられるような気がしたり、忘れられるような気がしたりしていいのだ。
坂道を上る時間が下る時間に比べて圧倒的に多いのも、何となく人生と同じような気がしてそれはそれでまたいいのだ。

自転車から帰って来て、千里のヤマダ電機にラベルシールを買いに行った。
校友会の支部便り発送用である。
インクや、私物などをいろいろ買ったら1万円近くの散在になってしまった。
今回の散在をもって、3月に購入したmacbook proのポイントが全滅してしまった。

そういえば先週末は大原で社労士の第一回統一模試があった。
結果は70点満点中49点のちょうど7割だった。
微妙な得点である。
ちょうどボーダー上だと思う。
ケアレスミスが5点以上あって、運であっているものも5点以上あるので、運が下がったとしても合格点を超えられる実力をつける事が肝要である。あと5点のケアレスミスをなくせば合格圏は確実だと思う。
選択式問題については惨憺たる結果の40点満点中22点だった。
目標は30点超えなので、こちらはあと1月半で実力をつけるしか無い。
また今年も微妙な点で落ちない事を望んでいる。
択一式はきっと合格点を超えられそうな気がするが、選択式でまたつまづきそうで怖い。
今欲しいタイトルは社会保険労務士の合格証書である。

コース>
蛍池→箕面→箕面川ダム→五月山→池田→蛍池

距離>27.8km
Max>58.5km
Ave>18.2km
時間>14時15分-16時16分
実働>1時間31分
休憩時間>30分
体がなまっているけど去年より速い。

2011年3月20日日曜日

光と影

東北関東地方に大きな地震があってから10日になる。
たくさんの人が亡くなって非常に悲しい出来事だった。
阪神大震災を経験した私は、一生のうちにあれより大きな震災に日本が見舞われるとは思ってもいなかった。
地震に遭うなんて避けようがない。
運の世界だ。
そう考えると、世の中は本質的に平等ではないと思える。
自然を人間がコントロール出来るはずがないのに、あたかも自然も含めて地球は人間の物のように錯覚してしまった人間の非力さを思い知らされる出来事のように思えた。


地震と津波は自然現象なので、避ける事が出来なかったかもしれないが、原発事故は避けられたような気がする。

都市部では、夜間でも灯りが煌煌と灯り、神を冒涜するように天高くビルはそびえ立ち、室内では季節をかき消すようにエアコンが使われている。
一見すると文明や繁栄を見せつけるかのような美しさがあるかもしれないが、その裏側にはそれを支えるための「美」に対する「醜」があったような気がする。
それが、今回の原発だ。
都市部の美しさの裏には、地方へ押し付けたツケがあったと思う。

被爆国である我が国は、被爆国であるにもかかわらず核に手を染めてしまい、いつの間にか危険な物を安全な物と勘違いし、今日の事故に至ったのである。
悪魔に心を売ってしまったようで、明らかに人災だと言える。
そして、都市部の人達は今回の放射能地域の産物を忌避し、今迄の生活を崩そうとしない。

みんなもっと世界の光と影の「影」の部分を見て欲しい。
そうすれば、自ずと今の世の中が変わって行くと思う。
陽が昇れば起きて行動し、陽が沈めば寝る。
晴耕雨読の当たり前の生活が送れれば、物質的に満たされなくても精神的に見たされた豊かな世界に慣れると信じている。

金銭的には苦しくなるかもしれないが、会社を辞めて人助けが出来るような行政書士を生業としたい。

2011年3月6日日曜日

こどもの能力

今日は一日大原簿記に社労士講座を受けに行った。
小学校から人生のほとんどの時間を週6日稼働でやって来ている。
健康保険はなかなか難しくて悩むところである。
これが厚生年金になった時にはどうなる事だろうと今から少しびびっていたりもする。

夜、5歳になったこどもと神経衰弱をやった。
 ぼろ負けだった。
2日前の夜にはかるたをやった。
ぼろ負けだった。

ちょっと前には字も読めなかったのに、確実に読めるようになって、記憶力も僕よりも数倍はよく次々とカードを取って行く。
こどもの成長と能力の高さに驚かされたのと、自分の無能さを改めて突きつけられた気がした。
いつの間にやらひらがのも読めて、数字も読めている。

大人は、ただ、こどもよりちょっと長く生きているだけで、能力にすぐれているわけではなく、経験からくる判断力がこどもより少し多い程度の生き物なんだろうと思う。
大人になってしまい、能力に劣るのを見せつけられたけど仕方なく劣る能力で勝負していくしかない。

今は目先の大原で頑張って夏の試験を乗り越えるしかない。
その前に、ほぼやる気の火が消えてしまった仕事をどうするか決めなければならないと思っている今日この頃である。

2011年2月19日土曜日

春が近い

今日は朝からおこちゃまと配偶者とともにおこちゃまの皮膚科に行った。
おこちゃまは軽いアトピーだ。
今ケアしておけば小学校に上がるくらいには消えるだろうという程度だ。
1月か2月くらいに一回皮膚科に行ってワセリンクリームをもらって来て毎晩お風呂上がりに配偶者がぬっている。
要は、乾燥肌なので保湿しようと言う事である。
皮膚科のあと服部緑地に行った。
まだ若干寒かったが、子供は結構いっぱいいて、我が子も喜んで遊んでいた。
1時間半くらい遊んで、家に帰って来て、掃除をしてひな人形をだした。
戦前に母のために買われた7弾飾りである。
戦前の物資が乏しい時に、誰かから中古の物を買ったそうだ。
70年くらいの年期は入っている物なのだ。
それを出して、配偶者とおこちゃまが並べている間、廊下や台所の拭き掃除とワックスがけをした。
ワックスがけが終わって、今日は暖かかったので久しぶりに自転車で箕面の猿山登りに行って来た。

家を出て走っていると、久々だったので体が重かった。
猿山の坂道に差し掛かった時には、足の付け根辺りの筋肉が明らかに老化している感じがした。
今日は猿山を登りきって、箕面側ダムから五月山方面に行こうと思っていたのだが、これで行けるだろうか心配になりながら走っていた。
不思議とある程度は知っていたらさほどしんどくもなくなった。
滝上の駐車場を過ぎて走っていたら、どこかで見覚えがあるような後ろ姿のお姉さん(40は過ぎているが、、) が歩いていた。
会社のお姉さんか???まさか。
と、思いながら追い抜き様に顔を見たら会社のお姉さんだった。
あ、、、。
「何でこんなとこは知ってるんですか???」
って先に聞かれてしまった。
 あんたの方がこんなとこ歩いていてよっぽど不自然だろ。
と、思ったが、「たまに練習でここはしってるんですよ。」
と応えた。
「なにやってるんですか?」
「箕面の滝の方から来て地図を見ていたら勝尾寺が近そうだったから行ってみようかと思って、、。」
というので、
「ああ、それならもうちょっとですよ。1kmくらいかな〜。」
とか言って、別れた。
意外なとこでの出会いであった。
少し走ったら、勝尾寺2kmの標識が出て来た。
ガセネタつかませてしもた。
と思った。
ま、仕方が無い。
箕面側ダムのところ迄来て五月山方面に曲がろうと思ったら、『凍結のため通行止め』の看板が置かれていた。
仕方なく能勢方面に向かって行き、池田経由で帰って来た。
今回は一度も休憩無く帰って来てしまった。本来なら五月山から景色を眺めようと思ていたがそれも出来なかった。残念。
今日もなんとなく向かい風でスピードも出なかった。

明日は大原で、労災雇用徴収の定例試験だ。
一週間が過ぎるのは早い。
明日から健康保険の講義も始まる。
あっという間に夏が来る。
何かきっかけがあれば会社を辞めて勉強に専念出来てハッピーになれそうな気がする今日この頃である。

コース>
蛍池→箕面の猿山経由→箕面川ダム→能勢方面→423号線経由→池田→蛍池

距離>36.5km
Max>51.6km
Ave>21.0km
時間>15時26分-17時10分
実働>1時間44分
休憩時間>0分

2011年2月14日月曜日

雪が降った

今年の冬は寒い。
去年の夏が猛暑だった反動だか、とにかく寒い。
でも、夏は夏らしく熱く。冬は冬らしく寒いのが本来あるべき姿かもしれない。

今日も仕事で嫌な事があった。
辞めてしまって新しい道を歩きたい。
と考えてしまうのを何度思いとどまって、その気持ちを飲み込んで来たか数えきれない。

昨日一人娘は5歳の誕生日だった。
先週の2/11も雪。今日も雪で今年は雪遊びがたくさん出来て喜んでいるようにも見える。
僕はなんとなくいいパパには少し遠いような事ばかりしているよな気もする。
仕事を辞めれば、もっといいパパに近づけるような気もする。

よく子供を泣かしてしまうのだが、子供はいいな、泣ける涙があって。
子供を泣かしながらも、今のうちによー泣いとけよ。
大人になったら泣きたくなっても泣けないし、なく涙も出なかったりするからな。
と思ったりもする。

もう少ししたら春が来る。
2週間もしたらひな祭りだ。
春が来る。
寒さに耐えたら必ず春が来る!!

2011年1月15日土曜日

走り初め

さぶ~~~~。
けど、走り初めでも行くか。
と思い、15時30分頃から勝尾寺まで走っていった。
結構厚着していったので、桜井あたりでダウンを脱いだ。
勝尾寺ヒルクライムは、前回吐きそうになりながら20分だったが今日は、「あ~、しんど。」という感じで、明らかにゆっくりペースだったが、21分だった。
最近は通勤でも寒いのと忙しいので自転車ではなく、車に乗っていたので明らかに体がなまっている。
ま、しかたない。
勝尾寺の前で15分くらい休憩して、箕面方面に降りていこうと思ったら、だるまさんがいたので、写真を撮った。
なんだか、今年はハッピーになれそうな気がした。
箕面に下っている時は、また、ダウンを着込んだがあまりにも寒くて、目と鼻から汁がぎょーさん出て走りにくいし、指先も冷たく、すこぶる辛かった。上り坂では汗をかくほど暑かったのに、下りは死ぬほど寒い。
寒すぎてあまり飛ばすことも出来ず、箕面の猿山方面に降りた。
途中、木の上にサルがなっていた。最近全くサルを見ていなかったのである意味新鮮だった。
凍えながら箕面に下りて阪急の横を走っていたら、急激にちん○が痛くなってきた。
パッチを履いて体操用ジャージをまとった、僕の下半身はあまりにも軽装だったので、寒くなりすぎて凍るほど冷えてしまい、ち×ぽが冷え切ってちじみ上がってしまい、痛くなってしまったのだ。初めての体験だった。
?んぽがいたいので、若干スピードダウンしながら、約1時間半のサイクリングから帰った。
早く温かくなって、悩みも無く試験を迎えられればいいなと思った走り初めでした。

コース>
蛍池→西田橋経由→勝尾寺→箕面猿山→石橋経由→蛍池

距離>27.53km
Max>51.1km
Ave>20.0km
時間>15時30分-17時10分
実働>1時間24分
休憩時間>16分

2011年1月3日月曜日

第87回箱根駅伝

 正月2日3日は箱根駅伝である。
昨年、一昨年は母校東洋大学が優勝していた。
今年は3連覇が掛かっていた。
是非とも3連覇で、早稲田の3大駅伝制覇を拒んで欲しかった。
結果は、母校東洋大は史上最速で走ったにもかかわらず21秒差の2位だった。
往路は、6区3位、7区4位、8〜10はそれぞれ区間賞の異次元の走りをしていたにもかかわらず、早稲田の背中に21秒追いつけなかった。
私の人生を含めて、実に東洋らしい、結果だと思えた。
一人当たりたった3秒縮めるだけで優勝出来たのに、、、。
かつては、一人当たりたった1秒縮められればシードを取れたのに。という年もあった。
ただ、母校の後輩君達があそこ迄頑張ってくれているのを見せてくれて、今年一年先輩として恥ずかしい生活を出来ないな。と思わせてくれた。
来年は是非とも今年の借りを返して欲しい。
特に今年1区から3区までを走った選手は、来年この借りを是非とも区間賞という形で返して、1区から10区迄1位独走をして欲しいと思います。そろそろ、5区におんぶに抱っこの勝ち方から、往路も堅実に個々の実力で勝って欲しい。

それにしても、早稲田の背中が見えながら追い越せなかったのは、行政書士試験に6点差(記述1問)で落ちた時や、社会保険労務士試験の択一問題で1点差+選択足切りで落ちた僕の人生と同じようで、もうちょっとで手が届きそうで、届かないという東洋らしいと言うか、なんと言うか、もう少しであと一歩と言う感じが非常に出ていたと思います。

でも、僕は今年の夏社会保険労務士試験に受かります。
母校東洋大学は、今年3大駅伝制覇で借りを返します。

復讐の2011年の幕開けです。